現実と物語1

本当に騒動になっているのかも疑わしいその騒動の内容にはあまり興味はなく、むしろ感情が増殖していることを捏造することで虚構が現実に侵食してきている(ように見える)ことと、それがまるで誰かの陰謀であるかのように思えてしまうことに興味がわく。戦争という物語を現実に張り付けていく感じかな。


それはそれとして。

処女厨』とひとくくりにするが、以下のように嗜好は多様であり、一口に語るわけにもいくまい。

そして、リアルに同じ眼差しを向けていないこと――少なくとも、向けていない派閥があること――はご理解いただけるのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081220/p1

処女厨」の直感的な気持ち悪さは、誰かが端的に指摘したように、女性を物にし性器に切り詰める視線に由来する。便器という彼らの好むアナロジーはだからあながち外したものではない。財の交換というフェティッシュな文脈でこそ、処女性が意味をもつのだとすれば、他の交換可能な事物が女性の隠喩となることは論理的にそう唐突な事態ではない。限りなく陳腐で醜悪ではあるにしても。ひとりの女性として、ひとりの人間として、わたしがそのような眼差しを断固としてはねのけるにしても。

フィクションのキャラクターの処女性一般は自分にとっては超どうでもいい。だからそれを論じることはしない。ただそこにこだわる受容のあり方は気になる。

処女厨的な、あまりに処女厨的な - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

どちらの記事も難しくてよく分からなかったんだけど(文化人類学?っていうやつ)、おもしろいなあと思った。
処女厨、おたく側がファンタジーの中で生きていそうなのに(現実と物語を混同していると思われている)、多くの人は現実(の人間)と物語(のキャラクター)を明確に区別している(物語の力を信じていない)。
逆に、処女厨をたたく側は現実が物語に影響を与え、物語が現実に影響を与えると思っている。


何だか、あまりにも、おたくって救われないというか。たぶんおたくは物語との親和性が人一倍強いはずだ。しかし、人一倍物語を信じていないみたいだ。
だから、個人的にはあんまりおたくをいじめないでねって気分なんだけど、おたくが踏みにじってきた部分を、おたくが見ないふりするのはよくないわけで、悩まなければならないんだろうけど、悩む前に、そこらじゅうに落ちている他人の捏造された感情で言語化してしまう。自分の中の問いを見つける前から答えがあるもんだから、どんどん感情が乖離して大きくなっていく。


結論は、まだなし、考え中。