物語と陰謀論と僕(平松変理)

非コミュ「僕なんかが、他人に関わったら、人を傷付けてしまう…」

ネットみのもんた「自分の言葉が人を傷付けるとはなんと傲慢な考えだ。誰もお前のことなど気にしていない」

非コミュ「よし、気にせず、自分の思うように、人に関わろう」

ネットみのもんた「お前は鈍感過ぎる。自分がどれだけ人に迷惑をかけているのか、考えろ!」

非コミュ「どうすればいいんだよ!」(最初に戻る)

いつものオチだけど、バランスが大切。

極端シリーズ - ARTIFACT@ハテナ系

ほぼ全文引用。


自意識過剰と鈍感さが非コミュスパイラルに陥るというネタ。

解答編として、村長が声色を変えてみのもんたの声で

「お嬢さん、犯人はバランスですよ。
あと(ペリッ)納豆を食べると非コミュは治りますよ。」


次の日、はてな非コミュ達は納豆を買いあさる。

これが世に言う、「非コミュはてなー納豆買占め事件」(ひねりなし)




非コミュを個々人の問題としてとらえるなら、

アドバイスという方法も非コミュから抜け出したいと思ってる連中には
有効かもしれない(バランスよりも、も少し具体的な方法とか?)。


まあでも、ほっといてくださいとか、ネトみのUZEEEE!!とかの方が多いだろうな。

非コミュの多くは、非コミュではない人、その他大勢の人の紡ぐ物語に当てはめられたくない
と思っているだろう。

で、その物語とは、例えば先ほど引用した
「自分の言葉が人を傷付けるとはなんと傲慢な考えだ。誰もお前のことなど気にしていない」
(たぶん、aurelianoのことだよね?)
であったり


「お前は鈍感過ぎる。自分がどれだけ人に迷惑をかけているのか、考えろ!」
(xevraなら、非コミュメンヘル。脱非コミュに必要なのはまずカウンセリングと投薬。
これで底を脱さないとどんな含蓄のある言葉でも彼らには届かない。
かな?ある意味社会問題化しようとしているんだろうか。)
であったり


また、村長はそうでないと祈るけど
「俺は努力した。だから、俺は非コミュではない。
お前は努力していない。だから、お前は非コミュなのだ。
お前は努力をしろ。」
(dankogaiなら、努力するな、俺の言う通りに実践しろ、かな?)

こういうことを言う人は2つ間違えている。

1つは、自分と他人を混同していることだ。

よーは、俺とおまえは違うってこと。

も1つは、現実と物語を混同していることだ。

つまり、「頑張らなかった」ことと「非コミュになる」ことは何ら因果関係は証明されていない。

まあ、相関関係はあるかもしれない。

因果関係のないものに原因と結果で結び付ける物語力はなかなかに厄介な力で、とても強力だ。

... (中略) ...

など等etc.これらの人たちに共通しているのは、

物語力が比較的高いが、

論理力が著しく低いか欠如している。[一部改編]

現実と物語2 - 柱無いリユース

テンプレートの物語を貼り付けられた非コミュは、
何だか疲れたよ、ぱとらっし、機能停止、思考停止、
むしゃくしゃしてやった
誰でもよかった
今は反省している(笑)
と、僕も非コミュにコピペみたいな物語を貼り付けてみた。


マジョリティーがマイノリティーの人生を物語に矮小化すること(戦場で死ぬことも非正規雇用も自己責任とか・・・)なんて、
現実にありふれすぎて、鈍感になってる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか、皆さん。

そんな中、声を上げるマイノリティーだっている。
マイノリティーの方が大声出さないといけないのも変なのだけど。


だけど、非コミュに関して言えば、どうも、おかしい気がする。
弱い者同士が戦うように、誰かが仕組んでいるんじゃないかと、非・非コミュの陰謀ではないかと疑いたくなる。
非コミュの中で声をあげてる人達は、大々的に自己責任論を受け入れて、
非コミュは犯罪者予備軍なんだから隔離しろとか、非コミュの俺なんて死んでしまえとか、
そういうものが目立つ気がする(http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20081227/1230338332とかb:id:y_arimの人のブコメとか)。
たいていはネタなんだろうけど、若干そうでない部分もあるだろう。


声を上げる非コミュ達が自分を責めるのはどうしてだろうか。
多分だけど、声を上げないマジョリティーの無言の圧力のせいだと思う。
「お前は鈍感過ぎる。自分がどれだけ人に迷惑をかけているのか、考えろ!」
「空気読め」


個人的には「他人様に迷惑をかけないでね」って言われ続けたのが一番の原因の候補だ。
僕は馬鹿だから、きっちり守ろうとするんだけど、
当然馬鹿だから、「他人様」の「迷惑」なんてわかるわけがない。
頭のいい子なら、「他人様」の「迷惑」を読み取ることもできたかもしれない。
しかし、空気を読むことに成功し続ける人間なんているだろうか。
頭の良し悪しに関わらず、「他人様に迷惑をかけない」ことに失敗するわけだ。
そして失敗を続けることは、「他人様に迷惑をかけ」続けることであり、
あとはコミュニケーションに委縮して、めでたく、非コミュの完成だ。出来上がりはこちらに用意してます。

そして、失敗し続けた経験は、かっちかちの冷凍罪悪感になるんだろうか。
さらに解凍して、自虐の詩の完成なのかな。


非コミュが自己責任かどうかなんてどうでもいいはずだ。
自分で選択した人もいるだろうし、そうじゃない人もいるだろう。
そんなことはどうでもいいはずだ。

自らを排除したい気分はわからないでもないけれど、
それは、あなたより弱い非コミュを巻き込んでることになっているということだ。


とんでもなく打算的な考え方に自分でも嫌になるけど、そういうことが、
弱い非コミュ達を外に加害するか、内に加害するかの2択に向かわせるのではないか。

しかし、そのことで声を上げる非コミュに当たるのは間違ってる(都合のいいやり方 - 柱無いリユース)。
子どもの虐待の責任をすべて母親のせいにするのと同じことな気がする(暴力の指向 - 柱無いリユース)。


どうすればいいのかなんてわからんけど、
コミュニケーションの失敗にもう少し寛容であってもいいんじゃないのかなと思う。
特に、子供のとき。(大人はどうすればいいのだろうか?)


他人に迷惑かけたことのない人なんかいないだろうし、そういう意味では
私も非コミュさん、あなたも非コミュ(予備軍)さん。キーモイ笑顔もおんなじね。ウェッヘッヒッヒッ、おーんなじーねー。
なわけだし。


後、こっちの方が大事な気がする。コミュニケーションの価値を下げなきゃね
いつから続くのか、このコミュニケーションバブル。
十万年前から続いているなら、絶望的で逆に、もういい。
コミュニケーション以外でほとんど成り立っているはずなのに…。
ノンコミュニケーションとかアンチコミュニケーションをもっと大事にしてくれよ。


コミュニケーションバブルを崩壊するために誰か総量規制を行ってくれ。


20090107追記
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20090103/1230955557