怖くて怖くて仕方がない

「対象にする事象によっては、ほとんど確定的だといいえるところまで近づける」

の前に、以下のような1文をいれたい。

・真理を確定できなくとも、何が間違いなのかを確定することはできる

共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び

わかりやすい文を読めてうれしい、感謝。
こっちは頭が悪いんだ。そっちは頭がいいんだから、うまく説明してみろ(逆ギレ)。という何とも悲しい気分も払拭(ギミ)。
ただ、

真理の共有なんて無理だけどさ、何が明らかなデタラメなのかについては、論者の中で共有すべきことなんでにゃーのかな? 人前でものをしゃべるのであれば、その程度の責任くらいはたさにゃーとね。発言に責任をもつつもりのにゃー奴に対して、聞く耳をもつ必要なんてどこにもにゃーし。

共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び

だから、黙ってる人が大勢いるわけで…。
そのサイレントマジョリティーが怖くて怖くて仕方がないんだ、僕は(正直者)。
だから何?