現実と物語4

404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい?
http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1
今更な上に、本筋から外れるけれども、
「私は勉強ができる(た)から or 私は頭が良い(かった)から、社会的に成功している(or幸せだ)。
お前は勉強ができない(or頭が良くない)から、成功していない(幸せでない)。
だから、お前は勉強ができるように努力しなさいor頭が良くなる方法を実践しなさい。」
の、ような、物語を現実に当てはめるようなことはしないでほしい。

こういうことを言う人は2つ間違えている。

1つは、自分と他人を混同していることだ。

よーは、俺とおまえは違うってこと。

も1つは、現実と物語を混同していることだ。

つまり、「頑張った」ことと「正社員になる」ことは何ら因果関係は証明されていない。

まあ、相関関係はあるかもしれない。

因果関係のないものに原因と結果で結び付ける物語力はなかなかに厄介な力で、とても強力だ。

... (中略) ...

など等etc.これらの人たちに共通しているのは、

物語力が比較的高いが、

論理力が著しく低いか欠如している。

現実と物語2 - 柱無いリユース


pollyannaは多分、そういうことをしなさそうだけど、dankogaiはどうだろう。

実際は、かけっこが速くたって小賢しい子はいるし、勉強ができたって素朴な子はいる。

大人だって同じことだ。

ただ世間智に長けているだけで「自分は勉強はできないけど頭はいい」と思っている人は、頭がいいと言えるのか。

実際には因果関係がないものに、因果関係を見出そうとする態度こそ、「頭が悪い」となじられてしかるべきではないか。



勉強ができる、できないにやたらと拘る人に問いたい。

子供のころは「子供らしさ」という基準で、大人になったら「頭のよさ」という基準で、他人の人格に優劣をつけなければ気が済まないのですか、と。

あなたたちは、なんとかして他人を見くびり、見下すことしか考えていないのですか、と。

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

ついでに、「勉強が出来る」が「頭がよい」ことでない説明も。

勉強って、ほとんど頭使わないよね。

人様に言われたことを、やればいいんだから。

あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。

親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。

ところが、勉強してくれる人が日本だけでなくて世界中に出現するようになったら、「勉強出来る子」に渡す小遣いがほとんどなくなっちゃんだね。日本の子の1/10の小遣いで、日本の子の10倍勉強されたら、かなうわけない。

404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい?

現実を認識する方法として、物語にすることは強力だと思う。
というか、そうしがちだ。
生の現実を人間は認識できないのだから、穴ぼこだらけの(むしろ、島状の)現実を認識するには物語が適しているし、それがコストが安く、そういう傾向があるのかもしれない。
だけど、容易に物語にせずに、逡巡してでも論理的な方法をとることはできないのかな?


と、勉強も出来ない、頭の悪い、コミュ能力が低い(だからと言って、不幸だとも思わない)人間が物語ってみた。